臓器移植について一考。
先月だったか、先々月だったか、友人の妹の夫が腎臓移植を受けた。この家族インド人で、妹とその夫はインドで暮らしている。腎臓移植を受けた地はシンガポール。その話を聞いた私は友人に「シンガポールでドナーが見つかったの?」と聞くと彼女は「ドナーはインドから連れて行った」と教えてくれた。
妹さんの夫の腎臓の片方は全く機能しておらず、もう片方も危ない状態で、いずれ人工透析を受けながらでしか生きて行けない状態になると医師からは告げられていた。そうなる前に腎臓移植を受ければ健康に生きて行ける。そこで、ドナーを探し、契約を結び、腎臓を買った。移植手術を受けるため医療水準の高いシンガポールへドナーと伴に行き、無事手術が終わった。ドナーは腎臓一個分の報酬をもらい、契約終了。これ、全て合法的に行われた事。
ドナーのシンガポールへの渡航費、滞在費、医療費はもちろんレシピエント(提供される側)の負担。ドナーは手術が行われる病院に到着後、必要な検査を受け、医師から手術の説明を受け、そこで10日間の時間を与えられる。そこで『やっぱりいやだ』となったら、なんのお咎めなしで帰国出来る。もちろん、そうなった際も費用は全てレシピエント持ち。
この話を『不快』だと感じる人もいるだろうが、私は『なかなか良く出来たシステム』だと思った。腎臓を必要としている人、報酬によっては提供しても良いと考える人が見事にマッチングされて、なんの後腐れもなく商談が成立する。手術が終わったら二度と会う事もない。人の死を待つ事もなく、指をくわえて『まだか、まだか』と苦悩する事もなく、自分の力で健康を買う。それで良い。臓器移植という『不自然』な事をしなければ繋がらない命を繋ぎたいのであれば、それなりの代償を支払うのは当たり前だと思うんだわ。
新しい脳死移植法案が議論されている最中、これもありなんじゃない?と考える私を「お金で臓器を買うなんて」と非難する人もいる。「お金のない人は死ねって言うの?」とくってかかって来る人もいる。
私は、人様のもんをタダで貰おうとする根性の方が余程いじましいんじゃない?と思う。
そんな事を思う私の『心』はおかしいのか?
それならそれで結構。
『善意』と称するもののお影で生きて行くのは、あたしゃどうも恥ずかしい。
...と思うと同時に家族がそういう状況になったらどうするだろう...と考えていた時に、代償を払って買うという道があると知ったのは私にとっては朗報であった。
ドナーに成りうる脳死はどうか?家族が脳死状態になったらどうするか?
それはね、決めている。チューブ全部外してもらって天に召されるのを静かに待ちます。
大事な家族の体、誰にもあげません。
脳死についてもあれやこれや思う事あり。それは次回で。